経済産業省・厚生労働省・文部科学省が2026年5月29日に閣議決定した「2026年版ものづくり白書」に、気になる数字が示されました。製造プロセスでデータを取得している事業者は約7割に上る一方、そのデータを活用して実際に効果を得ている事業者は約4割にとどまるというのです。多くの現場で「データは集めているが、経営の意思決定には結びついていない」状態が続いている。この「収集と活用の断層」こそ、これからの製造業DXの本丸であり、ITストラテジストが最も価値を発揮できる領域だと筆者は考えています。
皆さんの現場でも、生産ラインのセンサーデータやMESのログは山のように蓄積されているのに、実際に経営会議で使われる資料は相変わらず担当者が手作業でまとめたExcelの月次集計、ということはないでしょうか。白書は年次報告としてものづくり基盤技術振興基本法に基づき毎年公表されており、今回は業況や就業動向といった基礎データに加え、経済安全保障やAI・デジタル技術の活用という視点を踏まえた中長期的な成長投資の必要性が強調されている点に特徴があります。単なる現状報告ではなく、「次の一手」を促すメッセージ性の強い白書だと言えるでしょう。
なぜ「集めたのに活かせない」が起きるのか
原因の多くは技術ではなく組織構造にあります。生産技術部門・情報システム部門・経営企画部門がそれぞれ別の指標で動いており、現場は「異常検知」や「歩留まり改善」といった局所最適で満足しがちです。一方で経営が本当に求めているのは、次の設備投資や事業ポートフォリオ見直しの根拠になるデータです。白書も、AI・デジタル技術の活用にあたっては知識・ノウハウや人材確保の難しさが課題だと指摘しています。特に中小企業では研究開発に割ける人材・費用の制約が大きく、従業員教育に充てるOFF-JT費用は増加傾向にあるものの、大企業と比べるとまだ低い水準にとどまっています。現場のデータリテラシーと経営の投資判断力、この両輪がそろわない限り「集めるだけ」の状態からは抜け出せません。
白書が示す「危機管理投資」と「成長投資」という補助線
今回の白書のもう一つの特徴は、各国の保護主義的な政策強化による国際経済秩序の揺らぎと、AI等デジタル技術の急速な発展という二つの環境変化を踏まえ、企業に「危機管理投資」と「成長投資」を車の両輪として位置づけるよう促している点です。AI・デジタル技術の活用、設備更新、人材育成は成長投資の柱として明確に位置づけられています。興味深いのは、経営課題への意識が高い経営者ほどAI・デジタル技術に積極的に取り組む傾向がある、という指摘です。裏を返せば、経営とデータ活用の距離が近い企業ほど投資判断が早いということであり、これはIT部門だけでは埋められないギャップだと言えるでしょう。
ITストラテジストに求められる橋渡し役
ここでITストラテジストが担うべき役割は大きく三つあります。第一に、現場データを経営が判断できる言語に翻訳すること。KPIやROIを可視化し、投資対効果を経営会議の共通言語に落とし込む設計力が求められます。第二に、リスキリングのロードマップを技術選定と一体で設計すること。ツールだけ導入して使いこなせる人材がいない、という事態を避けるためです。第三に、PoCで終わらせないための意思決定プロセスの設計です。誰が、どの基準で本番化を判断するのかをあらかじめ決めておかなければ、データ活用の取り組みはいつまでも実証実験のまま止まってしまいます。さらに、系列の取引先や中小のサプライヤーを含めたサプライチェーン全体でのデータ活用支援まで視野に入れられれば、ITストラテジストの価値はより一層高まるはずです。実際、白書でも中小企業は研究開発人材や費用の制約からデジタル化の一歩目でつまずきやすいと指摘されており、大企業側のITストラテジストが調達先・協力会社まで巻き込んだデータ連携基盤を設計できるかどうかが、サプライチェーン全体の競争力を左右する時代になりつつあります。
「データを集める」ことと「データで経営を変える」ことの間には、思っている以上に高い壁があります。2026年版ものづくり白書が示す7割と4割のギャップは、多くの製造業に共通する宿題です。ITストラテジストがこのギャップを構造的な課題として捉え、現場と経営をつなぐ翻訳者・設計者として動けるかどうかが、これからの製造業DXの成否を分けるのではないでしょうか。皆さんの組織では、集めたデータのどれくらいが、実際に次の一手の根拠になっていますか。
